21 11月

「後の者が先になり、先の者が後になる」

先日、三重県伊賀市で出会った方から連絡あった。
実は、その方が堺で仕事をしていた時にある方からの紹介で、すでに出会っていた方である。何故、連絡があったかというと、「ぶどう園」を手に入れたから、是非、見てほしいということだった。さっそく案内してもらった。私は、少しビックリした。私の想像を超えて、はるかに面積が広かった。彼は、有機農業的方法論で安全なぶどうをつくり、ぶどうをジャムなどにして、販売してゆきたいと語ってくれた。実際には、すでに少しずつ実現化していた。
ところで、その「ぶどう園」のことを思いながら、古典中の古典の書に記載されている「ぶどう園の労働者」のたとえ話を想起した。この書には、逆説的な話が多く、今日のたとえ話もそのような内容である。
何故、それを取り上げたかというと、日頃から、グレースハウスとポケットでの取り組みの中で、「人とくらべない」・「人を気にしない」と何度も伝えている。そのより深い理解ができるヒントがあると思ったからである。
次のような内容である。ぶどう園の収穫の時期を迎えたその主人が、今でいうところの日雇い労働者を集めるために、夜が明けると同時に出かけて行き、1日1デナリオン(当時の労働者の一日の賃金)の約束で雇うという話である。夜が明けて労働者を雇うものの、まだ人手が足りなかったのかわからないが、9時、12時、3時、5時にぶどう園の主人が出かけると、まだ、雇われないで困っている人達がいたので、その人達に声をかけ、夜が明けて一番に雇い入れた人達と同じ条件、つまり、何時の人にも1デナリオン(古典中の古典の書の最後の参考文献が記載されている時があるが、その「度量衡」及び「通貨表」によれば、ローマの銀貨で1デナリオンは1ドラクメと同じ価値、つまり、一日の賃金にあたる)の賃金を支払うことを約束して雇うことになる。
さて、ぶどう園での労働も終わり、賃金を労働者に支払うように、その役割の人に指示をする。その時に一般的に考えても、おかしいなぁ~と思えることを指示する。「最後に来た人からはじめに順々に最初に来た人にわたるように賃金を支払ってやりなさい」と。当然のごとく、遅く雇われた人とくらべたり、比較すると、夜が明けて早くから雇われて長く働いた人達から不満が起こる。
みなさんもおかしいなぁ~と思うだろう。しかし、よくよく考えてみると、この世の価値観の視点からいうと、確かにおかしいと言えるが、人とくらべないで、その一人一人の生活などの困っている現実に視点を置いて考えると、つまり、「視点」を少し変えるだけで、人をねたんだり、うらやむ価値観とは、全く真逆の価値観がうまれる。それは、「人と比べたり、気にしたりしない」、言い換えると、「人間への愛」がどんな価値観をも超える。たとえ話から学ぶことが多い私である。
みなさん、日頃の取り組みの中で、「人とくらべない」・「人を気にしない」という合言葉の参考にしてくだされば幸いです。